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marina
marina

(marina profile)
川崎出身、埼玉県育ち。
ギターで作詞作曲を行い、誰もが抱える孤独に小さくても希望を与える為、歌を歌う。
力強い歌声とマイペースなキャラクターのシンガーソングライター。
2012年より都内ライブハウスにてライブ活動をスタートさせる。
2014年4月に初のバンド編成によるワンマンライブに120人集客。
その後ワンマンライブを定期的に開催。
CDはこれまでに合計シングル5枚を発売している。
CD累計販売枚数は、約3千枚。
新しいCDツメタイハナビラを2015年6月9日に初の全国発売。
現在は音楽活動の他、かわさきFMにてラジオパーソナリティを約一年担当している。

「marinaのアコースティック★night」生放送
●アメブロ:アメーバ公式「marina room」一日のPV数1500
●Twitterフォロワー:4000人以上
●marinaホームページ:http://marinahp.co
七海有希
2004年10月に埼玉県大宮市でストリートライブを始め、
その後秋葉原へと活動拠点を移す。 
2009年には進学塾のCM出演をし、
9月に初のホールワンマンを九段会館(東京都千代田区)で開催。
2010年からは主にフランス国内、
2011年はドイツ国内を中心に
各都市のコンベンションでライブパフォーマンスを披露し、
2011年までに、ヨーロッパ21都市52公演を行なった。 
現在は日本を中心に活動、主催ライブを行ったり、
対バンライブ、ストリートライブなどを精力的に行っている。
徳武弘文
1951.5/25 北海道函館生まれ
Guitarist,Compose,Arrange,Produce
大学時代に"ブレッド&バター" のサポートをつとめ、
以後、伝説のバンド "はちみつぱい" のメンバーと共に
"山本コータローと少年探偵団" を結成し、
本格的な音楽活動を開始。

74年に泉谷しげるのバックバンド "ザ・ラスト・ショウ" を結成。
独立し2枚のアルバムをリリース。
その後、多くのアーティストのサポート、レコーディングに参加。
他にドラマの音楽制作、数々のCM曲の制作や5作のソロ・アルバム、
6作のギター教則ビデオをリリース。
リーダーを務めるバンドDr.K Projectを率い、精力的に活動を続けている。
http://rocosmusic.com/drkproject/

Dr.K Informationはこちら↓
http://rocosmusic.com/drk.html
 
The Cavemans
2001年、レゲエ/ソウル/R&B/ファンク/ブラジル音楽など、多様なジャンルを基盤にあくまでも『歌』を生かしたレゲエ・サウンドを目指し『Spinna-Bill & The Cavemans』結成。

2002年には「FUJI ROCK FESTIVAL」へ出演、2003年にはHORACE ANDYとの共演、2004年には「ジャパン・レゲエ・フェスタ・イン沖縄」、「横浜レゲエ祭」といった国内指折りのレゲエ・フェスに参加するなど、レゲエ・シーンに置ける重要バンドとして確固たるポジションを築くが、2005年『Spinna-Bill & The Cavemans』としての活動を休止。 

その後Rickie-G,タカチャなどのシンガーのサポート、プロデュースワークなど『The Cavemans』としての活動をスタート Ring(ex.VoVo Tau),KEEN(C&K)AIGE,LIZZ等のボーカルを迎えてのライブ活動,音源のリリースと合わせ、『The Cavemans』名義でのインストカバーアルバム『The Covermans』を制作し、その活動の幅は多岐にわたる。


 

2010年初頭、ソロシンガーだった『AKIYUKI』の歌声と出会いその歌声に惚れこんだID(guitar)は、早速そのライブで生声 を体験することに。そこで確信を得たIDは、すぐに『AKIYUKI』とのデモ音源制作を開始。
その仕上がりを聴いたメンバーから満場一致で『The Cavemans』のボーカルとして迎えられることとなる。

結成当初から変わらず、レゲエを主体としつつも、あくまで"ブラックミュージック"を基盤とし、『歌』をメインに打ち出したバンドならではの"生感"を提示していきたいとする 『The Cavemans』。
IDいわく「教科書に出てくるくらい理想的なバンド」と称するほどになった新生『The Cavemans』の今後に要注目だ。
NANISAMA?
かつて日本で一番あつかった街・埼玉県熊谷市を代表する
日本で一番あついパンクバンド「NANISAMA?」
はい、「何様?」です。


りぶさん
三者三様の強烈な個性と、ハッピー感溢れるパフォーマンスで、
都内、横浜、湘南を中心に活動中。
彼らのステージを体験すると、「笑ってるんだけど泣けてくる」
「泣けてくるんだけど笑っちゃう」という、
摩訶不思議な現象があなたを包み込む。

ディスコグラフィーはこちら
http://livsan.com/main.html

ブログはこちらから!
http://livsan.com/main.html
三浦晃嗣
1954.2 大阪府生まれ
Drumer,Compose,Writer

小学生の頃ベンチャーズのメル・テイラーに憧れてドラムを 始め、
高校時代にはロックの洗礼を受ける。
大学在学中より都内のディスコやライブ ハウス、米軍キャンプ等で活動を始め、
1975年、グループ”ボビー&リトル・マギー ”でレコード・デビューを果たす。

バンド解散後はスタジオ、バッキング等の傍ら“ NASA””チキンシャック”等の
グループでも活動。'89年暮れに徳武弘文と出会い、
92年Dr.K Projectに参加。

現在はドラマーとしての様々な活動を軸に音楽雑誌のラ イターとしても活動している。

 
六川正彦
1951.7/18 東京都中野生まれ
Bassist,Compose,Produce

日大芸術学部に在学中にベースを始め軽音楽部、ジャズ研に席を置く。
大学卒業と同時に
あがた森魚のバッキングとアルバム『日本少年』参加。
その後、南佳孝、吉田美奈子のバッキングを経て、
大橋純子&美乃家セントラルステイションに参加。

脱退後は、スタジオセッションやライヴセッションを始め る。
数々のレコーディングやライヴ活動を経て
1990年よりプロデューサーとしての活動も開始する。
1996年に音楽事務所ロコスミュージックを設立。
自らベーシスト・マネージメントとしてDr.K Projectに参加。

 
星川薫
・ギタリスト、アレンジャー、作曲家、プロデューサー、ギター講師
・1959.3.14生
・所属:ロコスミュージック

子供の頃、おふくろが買ってきたベンチャーズのシングル盤を
なにげに聞いて、音楽に目覚める。
高校時代、 友人らとバンドを結成。
パートはギターをやりたかったのにジャンケンで負けて、
最初のパートはベース。しかし、当時、家ではギターを練習していた。
19才で上京、アン.ミュージック.スクールで
井上氏に師事。同時にライブハウス等でプロとして活動を 始める。

数々のアーティストサポート(原田知世、加山雄三 etc)、
レコーディング(原田知世、高田渡etc、数多くのCM )や、
インストラクターとしてリットーミュージックより
"究極のブルース・バッキング大全"、
ソロアーティストとしてVIVID SOUNDより"Plain Ol' Funky Song"をリリース。
1995年には、先輩ギタリスト徳武弘文氏のバンドDr.K Projectにも参加。
2011年6/15には、セカンド・アルバム"Do The Gator Alligator"を
VIVID SOUNDよりリリース。ライブ活動も盛んにおこなっている。

ディスコグラフティはこちら
http://rocosmusic.com/kaoru.ho4/disco/index.html

バンドDr.K Projectの詳細はこちら
http://rocosmusic.com/drkproject/
伊沢ビンコウ
出身
神奈川生まれ,千葉育ち

誕生日
7月7日

血液型
A

楽器
歌/ピアノ

好物
納豆/玄米/みそ汁/豆乳

苦手な物
煙草/バナナ/セロリ

座右の銘
本気で遊べ


幼少期よりピアノを習い、中学生の頃より作曲を始める。高校卒業後は都内の音楽学校に通いながら、ライブハウスや路上などで歌い始める。19歳で単身渡米、LAの音楽学校にて改めてボーカルのトレーニングを受ける。

帰国後、自身のバンドやセッションライブで経験を積み、2001年にソロとしての活動を本格的にスタート。精力的なライブ活動と作品作りを展開し、2006年にミニアルバム「Key of Life」で全国デビュー。 
タイトル曲であるKey of Lifeは、東京FMのパワープレイに選ばれ、インディーズ売上チャートで新人としては異例の7位を獲得する。
翌年には、秦基博などを手がけたディレクターを迎え制作されたミニアルバム「アウェイ」をリリース、舞浜IKSPIARIで行われたフルバンドでのリリースライブは満席の大盛況となる。
デビューを機に、東北・関西方面へもツアー範囲を拡大、また平井堅やSuperflyなどのコーラスメンバーへの抜擢や、J-POPカバーアルバムへの参加、他アーティストとのコラボレーションやプロデュースなど、活動の幅を広げてゆく。

2010年にリリースしたフルアルバム「Circle U」のリード曲である「僕のもう半分」は、公式着うたサイトで開催されたコンテストにて、ソロアーティストとして過去最多のダウンロード数で全国2位を獲得、現在もその記録は破られていない。

その後も安定したペースで作品を発表し続け、2015年1月、販売完了となっているかつてのデビューアルバムなどに収録された楽曲を、「今」の感覚と技術で新たにレコーディングしたリバイバル・ベスト「SHIN KO KYU」をリリース。過去の自分と向き合いながら今を見つめて制作された今作には、当時から一貫して変わらないままの志と個性、変わり続けようと歩んできた一人のシンガーの軌跡が、余すところなく収められている。
frAgile
「ライブは踊らせてなんぼ!」をコンセプトに、2004年結成。これまでに4枚のシングル、1枚のアルバム、1枚のDVDを全国発売。年間70本以上のライブをこなし、2012はアルバム発売に伴う全国37ヶ所ツアー、中国西安国際音楽祭に日本人初出演を果たす。

2013年発売のふしだらスパイダーツアーFINALに行われた、老舗キャバレーを貸しきった歌舞伎町ニュージャパンのワンマンショーでは250人満員御礼となる。また、ロックバンドには珍しいディナーショーをこれまでに二度開催。2014年シングル銀河夜光発売と同時に全国ツアーを開催。ツアーファイナルの渋谷club asiaで行われたワンマンショーで満員御礼。
新メンバーを迎え6/10にはフルアルバム「裏切り挽歌」を発売。渋谷clubasiaを皮切り全国ツアーへと突入する。

映像作品にも強い思い入れがあり、毎回趣向を凝らしたミュージックビデオを発表。メロディアスかつダンサブル、
誰もが懐かしむ楽曲とエンターテインメントに特化したライブに定評があり、アジアを含めた活動を行っている。

【Vo】ウシジマタクロヲ
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http://fragile-web.syncl.jp/


【G】Kazyy小阪
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http://fragile-asakusa.syncl.jp/


【B】松井一
https://www.facebook.com/hajime.matsui.31?fref=ts


【Ds】富士孫六
https://www.facebook.com/magoroku.fuji
https://twitter.com/magoroku_fuji
http://magorokunoameagaru.tumblr.com/


【Key】川田寛子
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http://hiroko-kawada.syncl.jp/
ETERNAL B

LtoR     SENTA (GUITAR)     KENONE (VOCAL)     BUD (GUITAR)     MATSUO (DRUMS)     MASAO (BASS)


 
 Eternal B was formed in Tokyo, in 1995 as “ETERNAL BROTHERHOOD” founded by the frontman KENONE.
In 1998, the band put out their first release “DEMO 1998”. DIY handmade 1,500 tapes were immediately sold out.
The following year, the band released their first full album “CATASTROPHE 1999” on OUT TA BOMB RECORDS and sold over 10,000 copies of CDs and LPs. From this period, they changed their band name to “Eternal B”.
In 2002, they released maxi-single “ESDN” on IMPAK MUZIK in collaboration with DABO, NUMB, and S-WORD, organized by KENONE. Eternal B collaborated with the first Def Jam Japan artist DABO on hardcore / hip hop crossover joint “Jolty Floor”.
In the same year, Eternal B released their 2nd full album “Emergency” on IMPAK MUZIK. They represented their hometown Shibuya on the cover artwork and warned of real-life problems in the lyrics.
Eternal B kept playing shows steadily, featured on several compilation albums, and finally released their long-awaited 1st 7” EP “album” which featured 10 straight-up hardcore songs on WDsounds in 2010. 

1995年、VocalのKENONEを中心にETERNAL BROTHERHOODという名で結成。
1998年に初音源 "DEMO1998" をリリース。メンバー自身のダビングによるテープ製作でライブハウスの手売りを中心に1500本を即完売させる。
翌1999年に1st album "CATASTROPHE 1999" をOUT TA BOMB RECORDSよりリリース。CD, LP併せて1万枚を越えるセールスとなった。この頃よりバンド名をETERNAL Bに変更。
2002 年、KENONEが企画したマキシシングル "ESDN" をDABO, NUMB, S-WORDと共に制作しIMPAK MUZIKよりリリース。ETERNAL BはDEF JAM JAPAN第1号アーティストのDABOとHARDCORE, HIP-HOPの融合作 "JOLTY FLOOR" を制作。
同年、2nd album "EMERGENCY" をIMPAK MUZIKよりリリース。ジャケット風景をメンバーの拠点の1つでもある渋谷にし歌詞の内容も身近な問題に警鐘を鳴らす作品となった。
その後2010年に発売する音源をリリースするまでの8年間もライブ活動は休まず続く。そして2010年、1st 7epをWDsoundsよりリリース。
THE PRISONER

PROLOGUE
ザ・プリズナー。2004年に誕生。もう少し詳しく言いますと、自分が結成前にやっていたバンド(ジ・アヴォイデッド)が変名してザ・プリズナーと名乗っていたというのが一番的を射てるし解りやすい説明ではないでしょうか。
ザ・プリズナーというバンド名は当時のメンバーが考えた。発足メンバーは前のバンド(ジ・アヴォイデッド)のメンバーにナナをプラスした5人編成で始めました。


Encounter with Nana
ナナは当時、ほぼ毎回ライブに来てくれていたんだよ、まだ17歳ぐらいだった筈。パンクのライブに来るからってパンク・ルックにならない頑固さが好印象だった。自分のスタンス、価値観がしっかりしていた。後ほど発覚するオツムの出来は別としてクレバーな印象だったんだよね正味(笑)。
新宿ロフトでザ・プリズナーのメンバーに入ってほしいと告げた。確かジ・アヴォイデッドの解散ライブの時だ。それからスタジオに入り何度も何度もぶつかりあって練習に明け暮れた。泣きながらスタジオを飛び出す事も何度もあった(結局戻ってくるのだが)。しかし彼女は決してギヴアップする事は無かった。
半年もたたずメンバーはナナ以外入れ替わっていった。


PART OF DONZOKO
パンク・ロックを追及していくが故に既製のパンク・ロックの模倣に終始する表現が俺はどうしても嫌だった。
飽きたって言うより嫌悪だったんだよね正直。だって俺は周りの年下のイエスマンに頷いてもらいたいわけじゃないし、別に外人になりたいわけじゃない。誰かと同じ恰好する為にパンクが好きになったんじゃない、自分自身になりたかったんだ。だから否定するしかなかったんだよ。

そもそも「俺とお前は一緒だ」って価値観が理解できなかった。「俺と君が違うのは当然。そのうえで理解して解り合おう」とは誰も言わなかった。どれだけ昔のパンクバンドに似ているか。それを競い合うだけに思えた。ハッキリさせたかったんだと思う。かといって勢いだけの無知な反逆、暴力を掲げるのも反吐が出る程嫌だった。正に暗中模索、方法は手探りだけど表現したい事はハッキリしていたんだ。自分の事を、自分の歌を歌うと煙たがられる時代だったよ、間違いなく。インディビジュアリズムなんて掲げても、見えない階級に対して歌っても、蔑んだ目で見られるのがオチだった。「真面目だね」「熱いよね」、それらの言葉は揶揄する為に使われるようになっていったんだ。本来の意味は蔑にされて。自主盤の売り上げで養護施設に寄付しただけで売名行為なんて言われた事もあった。正気の言葉じゃないよね。そんな感じの耳を疑う言葉を頂戴することが多かったよ。「そもそもお前はパンクじゃない」なんてよく言われた、思い返すと酷い台詞だよね。けどね、間違いなくそういう否定的な多数側のアンチな声が俺の進むべく方向性だったり、自分自身の表現方法に対して「これでいいんだ」と疑心が確信に変わるキッカケになったのは確かなんだよ。

何処何処のバンドの○○がギターを担当!そしてあのバンドから○○がベースとして参加!みたいな寄せ集め的なオールスターバンドとは確実に一線を画したかった。どんなブームも関係なかったし何処の系統にも属さなかった。落ちこぼれの第三野球部、そんな感じでカウンターな行動を起こしたかった。本気で10年先、20年先を見据えて始めたんだ。スタミナと言葉は溢れていた、3回生きても黙らない程やりたい事も言いたい事も溢れていた、勿論今もだけど。地方から出てきた18歳の女子高生と28歳の日雇い労働者がヴォーカル。そこにジャパニーズ・ドリームを本気で叶えようとしていたけど歳追うごとに萎んでいっていたアラサー(アラウンド30)日雇い労働者の中からメンバーを探した。

「ゼロから」がテーマだったんだ。デイ・アフター・デイ日払いの重労働に明け暮れていた。そんな仕事場の同僚に平日ライブに呼ばれてさ、見にいったら客5人とかなんだよね。「俺達最高!」なんて打ち上げで強がっていたけど笑えていなかった奴に声をかけていった。「そのまま終わるつもりか」って。面倒くさい事に箸にも棒にもひっかからないバンドやっていても、否、むしろ揉まれていない分そっちの方が腐ったプライドと講釈だけは一丁前だって相場は間違いない。自意識だけは過剰なもんで仕事場で何度もぶつかりあうんだけど奴等、悔しさも何もかも酒で全部流してしまうんだ。上っ面だけの「ロック論」を居酒屋でぶつけ合うのが関の山で、本来、家に持ち帰って本気で向き合わなければならない事柄も全て泥酔してトイレにゲロと一緒に流してしまうんだ。だから時間と酒に流されて何人も腐っていくのをこの目でしっかりと見てきた。

かく言う俺もそんな中の一人でね、パート・オブ・どん底で競い合ってる目くそ鼻くそ。明日への言い訳だけで今日と言う日を浪費して自堕落な生活を送っていたのは事実だ。そんな風に見つけたメンバーだから一筋縄で進むわけもなくバンド結成当初は喧嘩ばかりしていたよメンバー達と。
SOBUT
★結成は1995年、、、
HIDE(B)とMOTOAKI(EX)の出会いに初まる。
そこにYOSHIYA(Vo)が加わり、同年9月より東京下北沢を中心にライブ活動を本格的に開始。
その後、活動を全国へ展開。2度のDRUM交代の後、98年8月からYOTTSUが正式メンバーとして加入。
99年以降からはアメリカ、ロシア、中国、韓国へもツアー展開。
2003年8月、MOTOAKIが脱退。新たにGAMEO(G)・KO-ZY(G)を迎え、5人編成で活動開始。
2004年8月、台湾ライブフェスに参加。
2005年7月31日、yoshiya,ko-ziが脱退。
その後、HIDE(Vo,Bs)・GAMEO(Gr)・YOTTSU(Dr)のスリーピースで活動を継続。
2011年4月、ギタリストとしてYOSHIKI(ex.BENTROOT/shifter)が加入。
2014年夏、GAMEO脱退。  

現体制のSOBUTは、常に現在進行形のPUNKであり、等身大のHARDCOREであろう。
何にも媚びず、迎合せず、思考を停止せずに我が道を突き進む。
愚直なまでにひたむきな、彼らの志は様々なジャンルを跳び越え、何度でも
PUBLIC IMAGEを覆し続けるだろう…

-そしてまた1人減り、再び3人となったSOBUT-
何度目かの始まりを始める。
まだ誰も到達した事のない「頂」を目指して歩みを進める。
その目で、その耳で、その偽らざる心で確かめてみて欲しい。
この道の「ど真ん中」を歩き続ける彼らを。
NUMB
BIOGRAPHY
1995年、SENTAとNATSUOを中心に結成。NUMB現メンバー、SENTA(Vo)、NATSUO(Gu)、KENJIROU(Gu)、YURI(Ba)、SEKI(Dr)。1996年12月、1st ミニアルバム「ROAR 365」を発表。オリコンインディーチャートで最高位5位を記録。2000年4月に2nd アルバム「PLUTINUMB」をリリース。インディーズチャートで1位を獲得する。2002年、DABOやS-WORDらとの共演。2003年、S-WORDと組んでシングル「FIGHT FOR YOUR RIGHT」を発売。
2001年、2002年と韓国、オーストラリアにも進出しワールドワイドにその活動の幅を広げる。2004年、過去の曲を再録したアルバム「Death.Co」を発表。2007年7月6日に初のワンマン・ライヴを敢行してソールドアウト。同年、アートブック 「Time Has Come」を自主出版。2008年、初のUSツアー、2度目の韓国ツアーを敢行。また日本フェザー級榎洋之選手の入場曲「TIME HAS COME」がWBA世界タイトルマッチで起用される。2010年6月に2度目となるU.S.TOURを敢行。2012年に3度目、2013年に4度目のU.S.TOURを敢行。世界的ハードコアフェス"SUMMER OF HATE"にも出演した。2014年3月19日にNEW ALBUM "CITY OF DREAMS"を発売。
SPREAD
【L→R】
◆MON-TACK....Vo.B
◆Pooh....Dr
◆SEIJI....G.Vo
◆TAKUYA....Vo.G
CHRONOMETER
90年代から2000年初期にかけてパンク、ハードコアシーンで躍進したバンド「BENTROOT」。 そのVoとBaとDrが中心となって2005年に結成。これまで自主制作としてシングル2枚を輩出。 「エレクトロ」と「生バンド」を融合させたサウンドは自身のMY SPACEでの音源公開後には国内外に反響をもたらした。 その後、よりダブステップやコアな音を追求する為にSynth/PcとGuが加入。2013年、今の形態になる。 ダンサブルかつ激情のライブパフォーマンスは人気を博し、都内を中心にオーディエンスを増やしている。
S.M.N.
Gu/Vo 横山 裕章 Dr/cho マー坊 Vo/Ba 西村 浩介
2001年結成、九州・福岡にて地元の高校の同級生Gu/Vo 横山裕章 Vo/Ba 西村浩介 Dr/cho マー坊から成る3ピース・バンド。

2006年1月にカバー・MINIアルバム"Knocking My Soul"を発表、翌月には1stアルバム"How About It?"を発表。

2007年1月、2nd アルバム"What Is Bad To Be Fun!!"を発表。
この頃から、来日ツアー・サポートをはじめ、多数の有力バンドからツアー・サポートを積極的に行っている。

2008年10月、3rd アルバム"Smile Your Tears Away"を発売した。
さらに勢いは加速し、2010年は自身初となる海外レコーディング、リリース&ツアーを敢行!
同年9月に"Repaint It New"、12月に"Break Open The Door"を発売。
この作品はプロデューサーにRoger Manganelli (from Less Than Jake)、ミキサーにStephen Egerton (from DESCENDENTS、ALL)を迎え、マスタリングは洋楽ではGREEN DAY、Slipknot、Sum 41、Jimmy Eat World、Simple Plan、Marilyn Manson等、世界の名立たるミュージシャンを手掛けるTed Jensen (Sterling Sound, NYC)が行い、世界基準のPUNKサウンドを制作した。

2013年3月、maximum10のレーベル・コンピ"maximum10 compiles This. MAYDIE!!"に1曲参加した。

2014年7月、日本の有名アニメソングを英詩カバー(「ムーンライト伝説」を除く)10曲に加え未発表の新曲2曲とmaximum10のコンピレーションに参加した曲「HAPPY TONIGHT」を含む全13曲を収録したアルバム"TOON TUNES -10 Favorite Japanese Anime Songs- "を発売。

彼らのサウンドは洋と和が交差し、懐かしさと新しさがウネる極上メロディー!爽快感ともとれるスピーディーさは言わずもがな。九州・福岡が産んだアメリカン・カルチャーの匂いがプンプンの世界観を堪能せよ!!
Radiots
Radiotsとは、Radio・Idiot・Riotの造語である。
絶対基軸:ストリートパンク、エッセンス:アイリッシュ&カントリー、ルーツ:ロックンロール。

2007年4月3日/ Radiots 結成。
2007年7月/ 全国流通でのレコードSHOP店頭販売をせず、完全自主制作により、1stデモシングル:UPRISING(アップライジング)を発表。
2007年12月10日/ 1stアルバム:Radiots(レディオッツ:CSCD-005:Clock System Records)発表。
2007年末~2008年2月/ 1stアルバムレコ発JAPAN TOURによりライウ゛活動規模と勢力を一気に拡大。
2008年2~4月/ R&R CIRCUS '08 TOURに参戦。
2008年6月/ 前回のデモ同様、2ndデモシングル:ROOTS DIAL(ルーツ・ダイヤル)を発表。
2008年7月/ 台湾ロックフェス:Formoz Festival'08に出演。台風の中で行ったこのライウ゛が大盛況の幕を閉じ、台湾のロックファンからも多大な支持を受けるようになった。
2008年11月/ Bass.DAISUKE脱退。
2008年11月/ Bass.ANTON加入。
2008年12月/ 3rdデモシングル:BROKEN GENERATIONを発表。
2008年12月/ Laughin' Nose vs Radiots TOUR '08。
2008年12月/ コンピレーションアルバム:CALL UP!参加。
2009年08月/ 1997 in Nagoya参加。
2009年09月09日/ 2ndアルバム:FOREVER RULES(フォーエバー・ルールズ:URCS-123:Step up Records)発表。
2009年09~12月/ FOREVER RULES TOUR '09。
2009年10月/ RANCID JAPAN TOUR '09 広島公演に出演。
2009年12月~2010年2月/ FOREVER RULES-ENCORE TOUR-
*ENCORE TOUR FINAL@亀戸HC 2DAYS(両日SOLD OUT) 1日目(02/04)に
シークレットスペシャルゲストで、LARS FREDERIKSEN(RANCID)がBAND:SKUNXで緊急参戦!!!
*LARS FREDERIKSEN(Gt.Vo),YOSHIYA(Gang Vo),HIROMITSU(Ba),TOKYO HIRO(Gt),MASATO(Drs)というSKUNXメンバーで熱演、亀戸ハードコアの柵が全壊した。
2010年03月~05月/R&R CIRCUS TOUR 2010参戦決定。